2020/04/30

続-7割3分1厘 ファンファーレ



NAGANO CAR FESTA 2008
2008/05/31
2008/06/01
長野市 エムウェーブ

1年持つか分からず、なんだったら1ヶ月持つか分からない状態から、

ちょっぴり自信がついた状態の頃です。

大会名に初めて西暦を付けました。

それまでは場所を言えば『あの大会か』と判別出来ましたが、

『今後は年数付けないと、管理出来ないぞ』、

『管理出来なくなるくらい、長く活動するぞ』と、

ホームページやブログ更新時に勝手に付け始めました。

↑僕がやりましたアピール


この興行は自動車販売のイベント内のもので、

契約が成立すると、会場内にファンファーレが鳴り響きました。

私の試合開始直後、ファンファーレが鳴り響きました。

(ゴング)カーン!  (ファンファーレ)テレテテレテテレテテーッ♪


今だったら場外乱闘で、車の1台や2台、ぶっ壊してやろうか、

みたいな試合をするかも知れませんが、

この日はグレードの高い車が多く、大人しく試合に集中しました。


あと、確か2日目だったと思いますが、

Pさん(地獄谷PONTA)が、控室用テントを間違え、

アンパンマンのテントに入っていきました。

すぐ間違いに気づき、バイバイキンしてきたそうですが。


そしてこの試合後、現在の信州プロレスアリーナへと、

始めてリングを搬入しました。

初めてのアリーナの模様は、

次の振り返り1stシーズンの最終回で。


前の道場は千曲市にあり、前日にトラックにリング等を積み込みました。

いつもと違うのは、リングのみならず、

全ての荷物を旧道場から持ち出したことです。

最後の最後、全員で感謝を込めつつ掃除をしました。

元々青果だか野菜の何かを行う倉庫みたいな建物だったので、

隙間風がひどいのに、通気性は悪い、

夏暑く、冬寒い、そんな建物でした。


このもう一つ前、別の場所に道場と言いますか、

リングを置いていた場所がありました。

そして、中古で購入したリングを自分たちで現地に取りに行き、

運んできたという話もあります。

いずれにせよ、このあたりは私の入団前の話なので、

代表の自伝が出たら初版を買います。


画像は愛と勇気の友達。

2020/04/29

続-7割3分0厘 ナガイ


2008/05/25
須坂市北横町区祭
須坂市桜木町通り ナガイ駐車場内特設リング

須坂市で2度目の興行。

場所は小さな頃から母親と妹とよく買い物に行ったナガイ。

隣接、と言うより同じ建物内にフジ会館とナガイがあり、

この場所をフジ会館と呼ぶかナガイと呼ぶか、須坂市民でも分かれていました。

ちなみに、篠塚家ではナガイでした。


当日はリング横に足場が組まれ、それが入場用の花道となりました。

通常の花道の高さはリングのマットの高さに合わせ、

ある程度の長さがあるものです。

しかし、この花道はリングの真横に設置され、

高さは鉄柱の先端位まであって、

そこからステップを降りてリングインするようなものでした。


地元須坂での試合と言うこともあり、変に力の入っていた私は、

会場のゴミ袋をPさん(地獄谷PONTA)に投げつけるなど、

大変荒々しい感じのことをしていました。

試合中にですよ。


また、興行の数日前、私は会社で偉い人に呼び出され、

「篠塚、この人知ってるか?」と言われ、

とある会社の偉い方の名前を見せられました。

『何だろう?なぜ聞かれるんだろう??何かしたかな???』

と思っていると、このイベント(お祭り)の主催の方がその方だった様で、

大変背筋が伸びた試合をした記憶があります。

ゴミ袋を投げるとか。


ちなみに、私が個人として新聞に取り上げられたのもこのイベントでした。

須坂、高山、小布施、それと一部の長野市の情報を網羅する、

須坂新聞に、写真付きで記事を載せていただきました。

小布施のオリャーさん(パワーオリャー)と一緒にでした。

数年後、私達よりも遥かに大きく、カラーで、

ロマチカ君(オカダ・ロマンチカ)が掲載されました。

レェェベルが違うなと思いました。


画像はリング右側に、右上から掛けられている板(花道)が確認できるものと、

花道での攻防。

2020/04/28

続-7割2分9厘 ござーる


2008/05/17
上田駅前 天神通り(八幡屋前)

リングがすっぽり収まるような道路にリング設営。


今ではほとんどイメージはありませんが、

第1試合でしこさん(しこなかちろう)がロメロスペシャルで勝利しています。

他の選手もそうですが、デビューしてしばらくは色々なことをやりたくて、

色々な選手が色々な技を出していました。

私もコルバタを出していた時期がありました。


私は第2試合で、デビュー戦と全く同じ組み合わせ、

タイガーチョッとチン、戸倉馬之助
 VS
マルコXX、セカンド篠塚

でした。

ご存じの通り、信州プロレスは台本重視な団体なのですが、

この試合は「旗揚げ戦と全く同じことをやろう」となり、

小指の角度まで同じにするつもりで行いました。


メインはタッグマッチ、

チャールズ今井、番長清原
 VS
グレート☆無茶、蟹K☆ING

偶然にも、同い年4人によるタッグマッチでした。

思えばこの年齢の信プロメンバーはなぜか多く、

代表、番長、Pさん(地獄谷PONTA)が38歳の時に

「チーム38(サンパチ)」というユニットを結成していました。


蟹さんはその時には退団されていて、

チャルさんは対抗ユニットのチーム中信支部所属でしたので、

上記の3人での結成でした。

ユニットは39歳になったからなのか、飽きたからなのか分かりませんが、

解散マッチとか特になく消滅した気がします。

私も後5年したら、第2期チーム38でも結成しようかと考えています。


画像は2階外壁を支えに立ち上がる私。

2020/04/27

続-7割2分8厘 一周年記念興行(後編)



白樺リゾートファミリーランド決戦
2008/05/03
2008/05/04
2008/05/05

(前編)と(中編)で、試合のことを書くのを忘れていました。

Pさん(地獄谷PONTA)、森本さん(森本真也)、髭さん(黒ひげ危機散髪)、オリャーさん(パワーオリャー)、武蔵身先生(武蔵身定食)、

通称・信プロ第2世代が全員参戦し、

試合数も含め、興行が厚くなりました。

特に武蔵身先生の殺人パンチという技は、大変恐ろしい技でした。

遊園地と殺人なんて単語、名探偵コナンでしか共存しないと思ってましたから。


一方旗揚げメンバーも負けてはおらず、特にチンさん(タイガー・チョッと・チン)は、

ヌンチャクでうっかり自分の頭を割るという荒業を見せつけました。

本家さながらのターバンを頭に巻き付け、試合は続行されました。


様々なハプニングにも恵まれ(?)、信州プロレスは無事、一周年を迎えました。

私のこの振り返り企画、アリーナのこけら落とし興行で最後にしますので、

あと4回ほどですが、よろしければお付き合いください。


画像は遊園地のどの乗り物よりも、番長(番長清原)のサングラスで遊ぶ私。

と、それを見つける本人。

2020/04/26

続-7割2分7厘 一周年記念興行(中編)



白樺リゾートファミリーランド決戦
2008/05/03
2008/05/04
2008/05/05

白樺リゾートファミリーランド決戦は3日間行われましたが、

2日以上連続で参戦する選手は、

ファミリーリゾートの独身寮に泊めていただきました。

家族も一緒の選手には家族寮もご提供いただきました。

さらに、朝食や夕食はホテルのバイキングをいただきました。

さらにさらに、お風呂はホテルの大浴場を利用出来ました。

これだけの優遇を受けておいて、当時の試合クオリティで考えると、

白樺リゾート様にとっては大変コスパが悪かったのではと思えます。


バイキングでの話。

他のお客様はリゾートの装いで夕食を楽しむ中、

Tシャツにジャージのグループが肉を貪っている状況。

見栄えはともかく、これはメチャクチャ楽しかったです。


大浴場の話。

バイキングが10なら、大浴場は100くらい楽しかった。

チンさん(タイガー・チョッと・チン)、オリャーさん(パワーオリャー)さんは、

体に文字を書くタイプのペイントレスラー。

突如お風呂に「高血圧」「肉休」と書かれた人が入って来たらどうします?

私なら目を合わさず、ディスタンスを取ります。


お風呂の種類は色々あって、詰めれば10人入れる程度の浴槽がありました。

「全部溢れさそう」と誰かが言って、

ギューギューに浴槽に体を納め、

全員一斉に浴槽から出て、

「減ったなぁ!」っていう、平均年齢35歳の男子。

念のため言っておきますが、他のお客様の迷惑にならないことを重視して行動しています。


宿舎の話。

夜の独身寮ではチンさんの部屋に集まって、

マスターがチンさん、ママがマルコ姐さん(マルコXX)のバーがオープンしていました。

もちろん、次の日も試合があります。

カルアミルクを中心に嗜んでいらっしゃいました。

10年以上前なので、聞き流す程度に聞いてほしい話ですが、

不思議なことがいくつかありました。

廊下にある共有の電話に「でんわ」と書かれていました。

布団からトイレまで行く間に落とし物して、トイレから戻る間にもうそれが無くなっていました。

階段に一番近い部屋だったチャルさん(チャールズ今井)は、

明け方、階段を誰かが昇ってくる足音を聞いたそうです。

で、その足音は


・・・気になる方は個別にDMを。


画像はでんわ。

2020/04/25

続-7割2分6厘 一周年記念興行(前編)



白樺リゾートファミリーランド決戦
2008/05/03
2008/05/04
2008/05/05

一周年記念興行を遊園地で行えることが決定し、

「遊園地プロレス」というキャッチーなワードに、

レジャー気分で足を運んでいました。

正直、「プロじゃないけどプロ意識」((C)チン)は無かったと、反省しています。

今であれば『我々で集客を見込めるのか?それでも何か出来ることは?』

と自問自答しそうなもんですが、白樺湖のほとりでウキウキしていただけでした。


そうは言っても何か出来るだろうと、

須坂凱旋でお世話になったスタッフの皆様のお手伝いをしようと思いました。

聞くと、会場周辺にチラシを置いてもらおうと、お店を回る予定があった様です。

当時の信プロは、選手は試合に集中、スタッフは裏方に集中と、

完全な分業がされていました。

それが良いとか悪いとかではなく、当時はそれが最善と考えていたシステムでした。


そうした中でもスタッフ作業を積極的に手伝っていたのが、

しこさん(しこなかちろう)とPさん(地獄谷PONTA)でした。

チラシ配りもスタッフ3人に、私、しこさん、Pさんで参加しました。

Aチーム:スタッフ2名 白樺湖を右回りに。

Bチーム:スタッフと私 白樺湖を左回りに。

Cチーム:しこさんとPさん 周辺レストラン等。


当時の知名度はとても低くて、まず団体の説明から行っていました。

今ではありがたいことに、名前だけは知っていただいている状況が増えました。


ちなみにですが、現在選手がスタッフ業務も行っていたり、

ビッグマッチではメンバーの家族がお手伝い下さる状態ですが、

スタッフ業務のみを行う専任スタッフの入団募集もしております。

女子部が出来た頃は不純な動機の入団を避けるため、女性限定にしていましたが、

今はその辺りも無くなっているような気がします。

今は厳しいですが、どうぞ落ち着いたころに団体までご相談ください。


画像は犬猿。

2020/04/24

続-7割2分5厘 凱旋



2008/03/22
「すざかしどうぶつえん 春の動物園まつりマッチ」
動物園の隣


デビュー1年を待たず、地元須坂市で凱旋興行が出来ることになりました。

しかも、すこうケーブル(現:Goolight)のカメラも入り、

当日はインターネットでの生配信と、

後日、試合の模様が放送されました。

これは、須坂市動物園に信プロスタッフの知り合いの知り合いくらいの方がいらっしゃったこと、

その方とケーブルテレビの方とも旧知の仲であったこと、

その他諸々のご縁が幾重にも重なった結果です。


ただ、この興行の開催に至るまで、

それまでいくつも何回もあったプロレスへの偏見を、

私も直接目に触れ耳にする機会が多かったです。

それはまた、別の機会に。


現在は名誉園長となったアカカンガルーのハッチも当時は元気で、

それにあやかってハッチVSベンガルトラなんて言う試合も組まれました。

明け透けに言いますと、その試合が一番お客さんが多かったです。


私はメインイベントに代表(グレート☆無茶)とタッグを組んで出場。

代表と2人入場アナウンスを待っていると、

流れたのは私の入場曲の方でした。

だいぶ驚いた記憶があります。


おそらくこの日のみでしたが、髪の半分を金色にしました。

完全な金色ではなく、薄ら金色ですが。

須坂の信プロメンバーでの最初の金髪は私なので、

当時、金の雨が降りました。


資金としては自主興行の様なスタイルだったため、地元スポンサーを募りました。

私も凱旋の使命感がありましたので、不慣れな営業活動を行いました。

無事開催した翌日、スタッフとお礼のあいさつ回りをした記憶があります。


なお、当時はご近所にそれ程信州プロレスは浸透していませんでしたが、

ケーブルテレビの力は絶大でした。

所属している消防団の他の部の方にも知れ渡りました。

訓練をサボれなくなりました。


ちなみにですが、「○○さんが信州プロレスに」という情報で無く、

「○○さん家の息子が信州プロレスに」という情報の伝わり方は、

田舎あるあるの一つですね。


画像はタッグリーグ準優勝で、地元凱旋も済ませ、

乗りに乗る私の顔が「!」で隠れたファンクラブカード案内。

2020/04/23

続-7割2分4厘 初雪



2008/02/09
「いいやま雪祭り」
いいやま雪祭り会場


信州プロレスの冬の風物詩の一つ、雪上マッチです。

雪のリングは栄村のイメージが強いですが、

最初は飯山でした。


駐車場が非常に少ないと言われたため、飯山駅集合で、

可能な限り電車移動と言われました。

真面目で素直な私と武蔵身先生(武蔵身定食)は電車移動をし、

方向が近いメンバー同士は乗り合いで来ていました。

なお、翌年からは信州プロレスにも駐車場が割り当てられたため、車で行きました。


雪のリングながら、別所温泉で行っていた最強タッグリーグの公式戦も組まれました。

代表(グレート☆無茶)とタイガーさん(信州タイガーアロー)のドル箱タッグの試合もありました。

その動画は久しく見ていませんでしたが、

何故か代表の市議会議員選挙の際、

紹介VTRで雪にのたうち回るチャルさん(チャールズ今井)を見ました。


チャルさんはその日、無職透明としても試合をしていました。

「ハゲ固め」という、誰も思い出せない何かで勝利しています。

当時の信プロはオリジナルの技名を付けなければという考えがあって、

定着せずその日限りの技となった場合、歴史に埋もれてしまうことになりました。


雪のリングということもそうですが、

マットや通常のロープも無いため、

ゴムひもマッチの原型っちゃ原型と言ってもいいんじゃないでしょうか。


画像は試合会場。

2020/04/22

続-7割2分3厘 初のシリーズ



「別所温泉 相染閣」SWF最強タッグシリーズ

2008/01/20
2008/01/27
2008/02/10
2008/02/17
2008/02/24
2008/03/02
2008/03/09
第1回 SWF最強タッグリーグ 参加チーム+得点状況


別所温泉の、現在は新しくなっている「あいそめの湯」。

その旧館と言うか、移転前と言うか、そんな建物がありました。

普段はゲートボール場となる屋内ホールを、

「取り壊すから何でもやっていい」みたいな感じで、

2か月弱、リングを置きっぱなしで興行しました。

置きっぱなしと言いましたが、上記の通り、普段はゲートボール場となるので、

試合の都度、組み立て、解体をして、機材を会場に置かせてもらっていました。

朝の解体と、夜の組み立てが無いため、負担はそれ程多くありませんでした。


午前中に現地集合して、会場設営して、お昼を食べて、試合でした。

お昼は近くの食堂に行くメンバーが多かったです。

私は元来、友達の少ない内気な性格だったため、

人を誘って食事に行くとか、誘われて食事に行くプロセスが分からず、

控室で一人菓子パンとカップ麺を食べていた気がします。

念のため申しておきますが、これは他のメンバーが意地悪とか、

私が一匹狼気取りたかったとかではなく、

まだ信州プロレスが真の意味でワンチームで無かった時期です。

当時の私も『ワンチームじゃないな』と思っていましたし。


試合内容で言うと、毎週試合があることが初めてだったので、

台本重視団体らしからぬ、台本が間に合わないということがありました。

そこで、「途中2,3分アドリブで」という試合が散見されました。

その様子は思い返すだけでもクラクラとします。


その他に、タッグリーグシリーズであるにも関わらず、

「毎週は試合に参加出来ない」という社会人の弱点も露になりました。

「途中、不戦勝とかあれば面白いね」と話していたのに、

半分くらい不戦勝になりかねなかったので、

後半は公式戦の方が少ない日がありました。


ちなみに、アリーナの観客席にあるパイプ椅子。

椅子の裏側をご覧いただいたことありますか?

ほとんどの椅子の裏側に、相染閣と書かれています。

頂き物です。


画像は当時の対戦カードボード。

2020/04/21

続-7割2分2厘 礎



ここいらで、今もいる旗揚げメンバーのこととか、私のデビュー戦のこととか。


2017年05月に旗揚げ興行をした信州プロレス。

私の入団は2017年03月。

入団2か月でのデビューは、旗揚げ興行に選手が11人しか居なかったので、

完全なオマケであったと思います。


旗揚げ興行に参加した中で、私が一番団歴が浅かったことや、

体育会系に身を置いたことが無いこと、

既に入団していたメンバーのスポーツ歴の長さなどから、

年齢では下の大さん(オレガスター大)やしこさん(しこなかちろう)も、

入団したては怖い先輩でした。


そんな2人と旗揚げ戦では別の試合だったのですが、

また別の怖い先輩達との試合が組まれました。

タイガーチョッとチン、戸倉馬之助、ファンド村上
 VS
ホクトのケンシロウ、マルコメX、セカンド篠塚

当初の対戦カードです。


台本重視団体の信州プロレスでしたので、2か月ビッシリ試合の練習をしました。

その頃の信州プロレスは21時に道場に集まって、

前半はプロレスの練習、後半は試合の練習をしていました。

私は言われるがまま両方に参加していましたが、

プロレスの練習時に道場の隅で、腕を組んで怖い顔をしている3人が居ました。

チンさん、戸倉さん、ファンドさんの3人です。

対戦カードが決定した私は恐る恐る挨拶に伺ったことを覚えています。


その怖かった3人とは試合の練習からご一緒しました。

週3回、またはそれ以上、道場に集まり練習しました。

次第に、ホクトの、マルコメの参加率が下がりました。

練習時の代役として、ファンドさんがマルコメ役をやりました。

ホクトの、マルコメの2人が完全に来なくなり、対戦カードが変わりました。

タイガーチョッとチン、戸倉馬之助
 VS
マルコXX(元ファンド村上)、セカンド篠塚

マルコXXは実は2代目マルコXXで、ホクト"鬼嫁"あきこは実は2代目ホクトです。

マルコメXからマルコXXに改名したのは、

「クレームつけられたら弱小団体なんて、"飛ぶ"」と感じたからです。


ちなみに、ホクトのは大さんの会社の社員だったので、

何かしらのパワハラめいたものによる入団だったのかも知れません。


長くなったので最後に。

私の入団前からYahooで七味さん(七味ハイル・シューマッハ)がブログをしていました。

練習内容などが書かれていて、今よりも格闘技寄りの練習が多めでした。

七味さんに「ブログ開設は団体の許可が必要ですか」と聞いたところ、

別にいいということで、私は勝手にブログを始めました。

Yahooで当時の心境を当時の言葉で書いていました。

色々なブログを転々として、今日の今日まで続くとは思っていませんでしたが。


画像は怖い先輩。

2020/04/19

続-7割2分1厘 勝率



2007/12/01
「上田駅前大会」
上田駅前


イルミネーションの点灯イベントだったので、

イルミネーションマッチってみんなで言っていました。


同月に控えた自主興行に向けて、

私とチンさん(タイガー・チョッと・チン)の前哨戦が行われました。

結果はチンさんの勝利でした。

大ヒールのチンさんですが、ご存じの通り戦績は振るわず、

信プロ在籍時に5勝くらいしか上げていないんじゃないでしょうか。

その5勝の内3勝くらいが私から、1勝が代表からだった様な気がします。


この日、信プロのリングに長州小力さんが上がりました。

小力さんの人気は凄まじく、控室はイトーヨーカドー内にあり、

店内からリングまでは十数メートルでしたが、

その十数メートルの移動すら人混みで危険ということで、

店舗裏口から車でリングサイドまで移動していました。


時を経て、後に信州VS西口で、

グレート☆無茶、タイガーチョッとチン、セカンド篠塚
 VS
長州小力、アントニオ小猪木、ジャイアント小馬場

というカードが組まれることになろうとは、

この時は誰も知りませんでした。


画像は未だに火薬量が合っていたのか分からない代表の入場シーン。

2020/04/18

続-7割2分0厘 祭り



2007/11/09
「信州プロレス祭り」
長野運動公園総合体育館


田中秀和(現:田中ケロ)リングアナ主催で信州プロレス祭りが開催され、

信州プロレスも第1だったか第0だったかダークマッチだったか、

提供試合を行いました。

ケロプロデュース・プロレスザウルス提供 「長野元気!!信州プロレス祭り」

が正式名称で、

「信州プロレスの祭り」ではなく「信州のプロレス祭り」という意味合いです。


対戦カードは以下のものでした。

カールゴッチイズム
高山善廣・鈴木みのる VS 西村修(全日本プロレス)・征矢学(全日本プロレス)

後藤達俊 VS 豊臣太郎(DEP)

新日本プロレス
獣神サンダーライガー VS 裕次郎

P☆MAXタッグ選手権試合
グラン浜田・浜田文子 VS 竹村豪氏・伊藤薫

長野最強戦士決定戦
大鷲透・\(^O^)/(バンザイ)チエ VS アブドーラ 小林・野崎渚

TAKAみちのく VS MAZADA

ミツヤーマン VS 青柳政司

※社会人プロレスごっこ 信州プロレスから提供(試合あり)


↑記事のコピペ(一部訂正)なので、試合順はこれではなかった気がします。

また、地上波でも試合が放送されました。


信州プロレスにまつわることだけ書きます。

試合前、トイレでチンさん(タイガー・チョッと・チン)がメイクを施していると、

後藤選手が入って来てそれを見て、「何やってんだっ!!」と。

慌ててチンさんは「しっ、信州プロレスです・・」と言うと、

後藤選手は続けて入ってきたアブドーラ選手に、

(明らかに冗談の言い方で)「小林、長野終わってんな」と言ったそうです。


チンさんは試合後、入場時に持っていた拡声器を、

会場と控室をつなぐドア付近に置き忘れていました。

すると、メインイベントを終えた高山選手、みのる選手が、

ちょうどその場所で記者に囲まれていました。

みのる選手はそのインタビュー中、徐々にヒートアップすると、

チンさんの拡声器を手に怒鳴り始めました。


試合前に話は戻りますが、

この日のとあるレフリーにチャルさん(チャールズ今井)が呼ばれ、

「これ矢島さん(矢島聡)に渡しといて」と、

そのレフリーと同じ団体所属の某選手からコスチュームが送られていました。

実際そのコスチュームはヤジ君も着たのかもしれませんが、

後々リトル戸倉(チャールズ今井)が着ていた様な気がします。

当時の画像を検索すれば、選手、レフリー、コスチュームが分かるかも知れませんので、

よろしければお探しください。「#うちで探そう」


余談で、OPGさんにもジム仲間の某プロ選手から、

ニーパッドかな?を頂いたという選手がいらっしゃいました。


おまけで、以下は10年以上の前の話と思ってお聞きください。

その日の一部選手による打ち上げの場に、信州プロレスも参加させていただきました。

お酒の飲めない私がカルピスを注文すると、

同じテーブルにいたプロの某選手が別の某選手に対し、

「○○さん!カルピスですって!」と言いました。

私は『カルピスを注文しただけで殺させるっ』

とビビりましたが、その○○選手は「ちょっと待て」といい、

左手にグラスを持ち、

右手はへその下辺りで何かを握るポーズをとりました。

終わり。


※どういうこと?もっと分かりやすく!
 という成人の方は、別途ご連絡お待ちしております。


画像はセカンドフライ練習時の私。

2020/04/17

続-7割1分9厘 初実況



2007/11/03
「JA川中島」


七味さん(七味ハイル・シューマッハ)の地元という触れ込みで開催されました。

旗揚げ戦やビッグマッチや記念大会のみでなく、

当時は通常の興行の際にもいくつか取材が来ていました。

この日も確か、2局ほどテレビの取材がありました。


タイトルの初実況の話。

旗揚げしてしばらく、全試合の実況はチャーシューK氏が行っていました。

そんなチャーシューK氏が、初めていない興行だったと思います。

それまでの実績やポテンシャルで言うと、

実況は代表(グレート☆無茶)やチンさん(タイガー・チョッと・チン)が適任でしたが、

全試合は無理ということで、

第1試合のみ、私と七味さんで実況を行いました。


今でこそ実況補佐で新春シャンソンとしても活動しています。

今でこそ5000人を前にしても、マイクを握れば平気で喋れる様になりました。

ただこの時は始めてだったもので、目の前で起きていることを説明するので精一杯でした。

その後控えていたセミファイナルとはまた違った緊張がありました。


ちなみにですが、新春シャンソンが実況"補佐"の理由。

それは、私の中ではいまだに、

実況はデパートメントマターI、解説はチャーシューK、

タイトルマッチの認定宣言はオッパッピークラモチ、

という思いがあるからです。

なので、私はあくまで、その方々がいない間の"補佐"。


ちなみにちなみにですが、私は今も昔も、人見知りが凄い。

今では少しまともになりましたが、当時は本当に凄い。

なので、入団して3か月は経つであろう女性スタッフと、

この日ようやく、初めて会話をしました。

後に妻となる方です。


画像は初実況試合でのザ・たっチン。

2020/04/16

続-7割1分8厘 2回目のアクシデント(後半)



2007/10/28
「楽市楽座」

2007/10/28
「楽市楽座」


「2回目のアクシデント(前半)」からお読みいただくと、

話がすっと入ってくると思います。


(前半)にあった通り、26日(金)の夜に移動。

当時のリング運搬は、小さめのトラック2台でしていました。

トラックの運転はそれぞれ、代表(グレート☆無茶)とチンさん(タイガー・チョッと・チン)。

その日はトラック以外に、七味さん(七味ハイル・シューマッハ)とマルコ姐さん(マルコXX)の車に分乗。

その移動中、なんと代表の乗るトラックがパンクしてしまいました。

チンさんのトラックはそのまま松本を目指し、

車に詳しい七味さんがパンクの確認に戻るため、その車に乗ってた私は、

マルコ姐さんの車に乗り換え。

パンクしたトラックの荷物を移す為に、当日移動組でなかった数メンバーも、

夜22時頃、故障車に駆け付けた様です。


先に松本に着いたメンバーで、チンさんのトラックの荷物を下ろしました。

パンクしたトラックは夜遅いこともあり、修理は完了していません。

そこで、チンさんのトラックでパンク車まで戻り、荷物を積み替えて運搬することに。


私はその場では最年少であったこともあり、チンさんの助手席に乗ろうと思いました。

すると、(当時)「練習生だから」と、Pさん(地獄谷PONTA)も名乗り出ました。

『私が』「いや、私が」とドア付近で押し問答状態になりかけた所、

「ちょっとどいて」と、戸倉さん(戸倉馬之助)が有無を言わさず助手席に乗り込み、

「よーし、じゃあチンさん行こうか」と、

チン軍団二人で再び長野市近くまで出発しました。

この時点で23時。


松本に残されたメンバーは先にホテルで休ませてもらうことに。

なので後日談になってしまいますが、

パンクしたトラックにチン軍団が到着した頃には日付が変わり、

再度松本に到着し、全ての荷物を下ろし、チェックインしたのが午前3時と聞いています。

翌日に試合が無くて、逆に良かったと思うとともに、

敵ながらチン軍団に"漢"を見ました。


まだ続きがあります。

27日(土)午前3時のチェックイン後、戸倉さんはチンさんに対し、

「チンさん、ちょっとだけどう?」と、バッグから酒瓶を取り出したそうです。

チンさんも「ちょっとだけなら」と部屋飲みを始め、

朝日を一緒に見たそうです。


鉄人的なエピソードですが、ここで(前半)の話を思い出してください。

チン軍団は番長(番長清原)、リーダー(当時ヒロマティ)と共に、

27日(土)の昼から部屋飲みをしていました。

「夜の飲み会含め合計12時間ほど飲み続けた」と(前半)で書いていましたが、

合計20時間でした。

私は現在、当時の4人の年齢に近づきましたが、おそらく真似できないと思います。


そんな"漢"であるうちの一人、戸倉さんの余談です。

ホテルの朝食バイキングの味噌汁は、並べられたお椀に乾燥した具が入っていて、

大きな寸胴から自分で暖かい味噌汁を注ぐタイプのもの。

その味噌汁を飲んだ時、「あれ?これ味しないねぇ」と言う戸倉さん。

どうやら味噌汁でなく、その横のコーヒー用のお湯を乾燥した具に注いだ様で、

ほぼ無味のお吸い物が出来上がっていました。

かわいい。


画像はパンクした方。

2020/04/15

続-7割1分7厘 2回目のアクシデント(前半)



2007/10/27
「楽市楽座」

2007/10/28
「楽市楽座」


初の中信地区での興行。

盛りだくさんなので、今日は長いですよ。


元々27日(土)、28日(日)の2Daysの予定でしたが、

27日(土)が雨で中止になりました。

しかし、その分の試合も28日(日)に行ったため、

"雨天中止"としてはノーカウント扱いになっています。


26日(金)の夜に移動し、松本に2泊の予定でした。

27日(土)の試合は無いものの、全員乗り合いで行っているため、

ホテルやその周辺を徒歩でうろつくのみでした。

私は昔も今も超インドア派なので、スマホは当時無かったものの、

ロビーのパソコンでずっとネットをしていました。

ただ、夜は全員での決起集会という名の飲み会がありました。

予約をしていた店とは別の、同じ系列のチェーン店に行ってしまうなどのハプニングもありましたが、

みな、明日の健闘を誓いあいました。

22時位にはお開きになったものの、松本の夜はアツかった様で、

とあるメンバーは全員が朝食を食べているような時間にホテルに戻って来ました。


なお、チンさん(タイガーチョッとチン)、戸倉さん(戸倉馬之助)、番長(番長清原)、リーダー(当時ヒロマティ)は、

昼から部屋飲みをしていた様なので、

合計12時間ほど飲み続けたことになります。


28日(日)の試合は前述の通り、2興行分を行いました。

台本重視団体である我々ですが、当時は応用力が全くなく、

用意していた2日分の試合を、ただ順番に披露しました。

なので、ネタかぶりがいくつも見受けられました。


そんな試合で、番長は「しばいたるねんラリアット」という、

おそらくこの日だけの技で勝利していました。


やはり長くなったので、アクシデントの詳細は後半に。


画像は1日目の昼、ステージで翌日の告知等をした時の模様。

2020/04/14

続-7割1分6厘 初めてのアクシデント



2007/10/14
「イトーヨーカ堂長野店」


今では信州プロレス主催の年越しプロレスの場である、

権堂広場にリングを設置しました。


この日の試合で私は七味さん(七味ハイル・シューマッハ)と組み、

代表(グレート☆無茶)と蟹さん(蟹K☆ING)の超人師弟コンビと試合。

超人師弟コンビは旗揚げ戦でも結成されたタッグチームでしたが、

高校のクラス違いの同級生のお二人が、どの様な師弟関係であったか、

今の今まで謎が残っています。

この試合後、私はそんな蟹さんに金色の蟹マスクを渡し、

番長(番長清原)、リーダー(当時ヒロマティ)と共に、ユニットを結成する運びとなります。

ユニット名は「ゴールデンくらぶ」でした。

野球っぽく、蟹っぽく、金色っぽい、非常に上手い命名が出来たと思っています。


そしてメインは大さん(オレガスター大)とチャルさん(チャールズ今井)のシングルでした。

アクシデント寄りのハプニングが起きたのはこの試合でした。

大さんをコーナートップに座らせ、雪崩式のフランケンシュタイナーを狙うチャルさん。

飛びついたその瞬間、2人ともリング外へと落ちていきました。

幸い、コーナー付近でセコンドについてきた代表が二人を受け止め、

試合は再開され、大さんの勝利で終わりました。

試合後、マイクで「チャールズ今井は元プロで~~」と説明する代表。

元プロなので、大丈夫、ご心配なく、というフォローをしっかりとしました。

それでも、口から出血しながら闘い続けたチャルさんを心配する声は多かったです。

ただ歯槽膿漏による出血であっただけなのに・・。


なお、この頃を前後して、いわゆる信プロ第2世代であたる、

Pさん(地獄谷PONTA)、森本さん(森本真也)、髭さん(黒ひげ危機散髪)、オリャーさん(パワーオリャー)、武蔵身先生(武蔵身定食)

が入団してきています。

素顔でセコンドやレフリーをしていました。

この5人に限ったことではありませんが、デビューまでは本名で呼ぶものの、

その後はずっとリングネームで呼ぶことが習慣となりました。

素顔、マスク関係なくです。

理由は分かりません。

2020/04/13

続-7割1分5厘 ビッグハット2連戦

2007/09/23
「ビッグハット」

2007/10/06
「ビッグハット」


無謀にも、旗揚げ1年目にしてビッグハットで2回試合を行っています。

最初はビッグハットの隅っこ、2回目は駐車場。

ビッグハットのど真ん中にリングを設営するのには3年掛かりました。


最初の方のビッグハットで、私が勝手に作ったベルトでタイトルマッチをしました。

ビッグハットでのタイトルマッチは、後にも先にも私だけではないでしょうか。

一度はベルトを手放すものの、再試合のジャンケンで取り返しました。

非常にくだらないものをお客様にお届けしたと思っています。


また、前日の大会との2連戦の2日目でした。

2連戦なんてキツそうだな、と思われるかも知れませんが、そうではありませんでした。

当時は当日の朝道場に集合して、リング解体、積み込み、会場に移動、設営をしていました。

試合後はリング解体、積み込み、道場に移動、組み立てをしていました。

初日の撤収時、トラックにリングを積んで解散になったので、

初日「組み立てに移動しなくて楽だね」、

2日目「朝リングの解体しなくていいから楽だね」と思っていました。

ただ、リーダー(シロマティ)は一度塩尻に帰っていました。


2回目の方では"仮免ライダー"として、

某仮面をつけたようなライダーみたいなキャラクターが出てきました。

しかし、このライダーは趣味で行っているヒーローで、

権利を持つ本家の方から中々な怒られ方をされたとか、されなかったとか。


また、この日は自転車をこいで発電する、というイベントにも出演。

入団して、初めて試合以外でイベントに携わりました。


なお、ビッグハットのステージ、アリーナ、駐車場、階段で試合をしたのは、

信州プロレス以外にいないと自負しております。

2020/04/12

続-7割1分4厘 私も気づく

2007/09/22
「長野陸運局」
イトーヨーカ堂特設リング


信州プロレス初の2連戦、の初日。

10年以上前のことなので正直に書きます。

上記の試合結果には観衆は「合計50人」とありますが、

実際は20人ほどでした。

見栄を張っていました。

試合前にリングを使用したキッズダンスのお客さんも加算し、

「合計50人」と書いてしまいました。

ウソではないけど、正しくない、ってやつですね。

数字は嘘つかないけど、嘘つきは数字を使う、ってやつですね。


それまで、「信州プロレス様の試合だ!人集まるぞ!」

って感じで天狗ってましたが、

ここいらでようやく人間の心を取り戻します。


ちなみに、この日は番長(番長清原)がデビューしました。

私とリーダー(ヒロマティ、後のシロマティ)と野球軍団を結成しました。

この3人での行動は、ゴールデンくらぶ、ロマンティック・カルテットまで続きます。

ゴールデンくらぶ、ロマンティック・カルテットについては、

また機会が来ましたら。


そして、この日の試合中に卵が産まれ、

翌日のビッグハットで孵りました。

信州プロレス初の、"続きもの"をした日でした。

2020/04/11

続-7割1分3厘 気付けば一人で勘違い

2007/07/22
「イトーヨーカ堂上田店屋上」
イトーヨーカ堂特設リング

2007/08/04
「小諸ドカンショ祭り」
小諸ドカンショ祭り特設リング


旗揚げ2か月にして、西口プロレスさんと初遭遇。

私はもう『売れた』と思い、既に天狗状態であった鼻がもう40cm伸びました。

小諸では信プロ史上初の、ゲスト参加者(イベンターの方)を迎えました。

日頃、ごっこなりに練習していた私は、先輩風をビュンビュン状態でした。


この頃までそんな勘違いをしているメンバーは私くらいなものでした。

今分析すると、他のメンバーは少なからずスポーツをやっていて、

何かを成し遂げる為、すべき努力を知っていました。

私は単に、みんなが敷いたレールを使っていただけでした。

そんな私に、デビュー戦のヤジ君(矢島聡)は信州一ラリアットを決めました。

鼻が50cm程折れたような気がしました。


ちなみに、イトーヨーカ堂ではヒロマティ(後のシロマティ)がデビューしました。

私が後年、リーダーと呼ぶことになるお方です。

リーダーは塩尻から通っていました。

当時は塩尻は大変遠くの場所に感じており、

色々な時間をリーダーに合わせる"ヒロマティ時間"みたいなものがありました。

現在では県外メンバーも増え、一律"長野時間"に戻りましたが。


それと、エンディングで西口プロレスさんがリングインする際、

私と大さん(オレガスター大)でロープを開けていました。

すると、リングインするラブセクシー音羽屋さんが、私にキスしました。

私のファーストキスでした。

なお、2回目のキスは10年後のマルコXXとです。

3回目は20周年記念興行でと約束しています。


イトーヨーカ堂さんには本当によくしてもらい、

選手個人の特大ポスターを会場に貼ってもらいました。

私は入場時、対戦相手のチンさん(タイガーチョッとチン)のポスターに、

油性ペンで「バカ」と書きました。

使い捨てと思われたそのポスターは試合後に頂き、道場に持ち帰ることになりました。

その後、「バカ」と書かれたポスターが道場に飾られました。

大変申し訳ないことをしました。


小諸では「負けたら引退」という試合で魔珍(後の火付魔珍)がデビューし、引退しました。

なお、私は入場時に客席に向かい水鉄砲を撃った際、

ケーブルテレビのカメラに掛かり、

なかなかなお叱りを受けたとか受けなかったとかは、ご想像にお任せします。

水鉄砲後、リングに上るとKen45゜選手の真似をしてエアギターをしました。

なので多分、リングでエアギターをしたのは

Ken45゜選手→私→100年に一人の逸材 の順だと思います。

裏は取っていません。

2020/04/10

続-7割1分2厘 続く勘違い

2007/07/15
「歩行者天国大会」
長野駅前特設リング

2007/09/01
「歩行者天国大会」
長野市中央通り もんぜんぷら座前特設リング


時系列的に前後しますが、旗揚げ興行の年に、

長野駅近くの歩行者天国に3回もリングを立てました。

特に向上心が無い私が、自分のやりたいことだけをやって、

何の苦労もなくお客さんに拍手をもらっていました。

大変お恥ずかしい限りです。


特に長野駅前での試合なんて、長野市の玄関口にリングな訳です。

もう長野県を代表したような気になっていました。

この頃、観戦に来てくれた知人に対し、

私はあいさつやお礼を怠っていました。

今考えて、ただただ恥ずかしい。


"若気の至り"の一言では片づけられないこの態度。

残念ながら、まだ続きます。


ちなみに、7月の方の大会は雨が降って、リング上が非常に滑りました。

この日ヤジ君(矢島聡)がレフリーデビューでしたが、

そんな悪条件の中、類まれなるアドリブ力を見せつけ、

大物ぶりを発揮していました。

それと七味さん(七味ハイル・シューマッハ)はそれまでの試合で、

毎回私のバットを蹴りでへし折っていました。

この日はバットに飽き足らず、コンクリートブロックを割ると言い出しました。

試合前、試し割りとばかりに、コンクリートブロックに正拳を振り下ろし、

見事に砕きました。

骨の方を。


9月の大会の昼食は、あんかけ焼きそばでした。

ふと、大さん(オレガスター大)がスタッフに「これあげます」

「いつもありがとうございます」と、

自分の嫌いな野菜をお皿に渡していました。

なお、取材に来たケーブルテレビがお客さんにインタビューしたところ、

それが偶然大さんのお母様でした。

2020/04/09

続-7割1分1厘 勘違い野郎軍団

2007/06/03
「歩行者天国大会」
長野市中央通り もんぜんぷら座前特設リング


興行名は上記の通り、年数もイベント名も何にもないものです。

これは、当時はこれだけの情報でどのイベントかがすぐ分かるほど、

試合の頻度が少なかったからです。


当初は自分たちで体育館を借りて、

「1か月か2か月に1度、プロレスごっこが出来ればいいね」

くらいな考えでいました。

入団時に代表にも、その程度の予定を説明されました。

ところが、旗揚げ興行からひと月も間を空けないこの日、

長野市の中央通りでの試合を行うことになりました。


しかし内容は余りにもお粗末で、

お客さんに椅子は無く、中央通りの道路に直に座らせ、

どこまでリングに近づいていいかの説明もしていませんでした。

それなのに、『リング出来た!完璧!俺たちスター!』

という気持ちでオリジナルグッズの販売も行うなど、

完全に勘違い野郎軍団でした。


今思うととても恥ずかしい興行でしたが、

我々の満足度は120点くらいありました。

当時はお客さんでなく、自分たち重視の内容であったと思います。

正直、最近デビューした吉田さん(吉田貴族)、シショウ(千石キヨシショウ)が、

この日の誰よりもはるかに高レベルの試合をしています。

なお、この勘違いはしばらく続きます。


ちなみにですが、お客さんがいる所で、代表(グレート☆無茶)が素顔の戸倉さん(戸倉馬之助)を「戸倉さん」と呼んでいました。

それとチャルさん(チャールズ今井、無職透明、リトル戸倉、Chikuma、レフリー陰○座敷わらし、ムシバラス・キング、脱税マン、より子、北海道出身で某レストランに勤務してた元プロのイマイテルオさん当時3○歳)

の信プロデビュー戦でした。

2020/04/08

続-7割1分0厘 ゴールデンウィークまで

ゴールデンウィークまでと言いますか、

旗揚げ記念日まで、1か月を切りました。

しかし、今のところ、まったく予定がございません。


2020年の05月05日で、信州プロレスの旗揚げから、

ちょうど13年。

旗揚げの頃の思い出を挙げればキリがありませんので、

それはまた別の機会に。


以前、メルマガで旗揚げ記念日に行われてきた興行がまとめられていました。

年の数だけ旗揚げ記念日がありますが、

旗揚げ記念日だからと言って特別なことをしたのは数回のみでした。

その他は通常運転。

これはある意味、信州プロレスらしくていいですね。


まだまだ興行のない日が続きますので、

我々のお出しする"信州プロレス"は過去のものに頼りがちですが、

それでもよろしいということであれば、

各興行の思い出をつらつらと綴っていきます。

あえてビッグマッチとかは除いて、覚えている限り行きますね、次回以降から。


久々のハッシュタグ「#信プロ十年の思い出」

2020/04/05

続-7割0分9厘 最終日

例年よりイレギュラーに長かった春休みが、

いよいよ今日で終わります。

私の方針として、長期休み中は、

・日曜日に宿題やらせない
・最終日に宿題やらせない

の2つがあります。

理由は、親(私)も日曜日に仕事をしないから、

そして、連休最終日も遊びたいからです。

勉強が必要な時が来たら、必要な分、自分でやればいいです。

あくまで私の方針。


いつからか、連休最終日が憂鬱になりました。

しかし、子供たちは友達と久しぶりに会えるからか、

早く明日が来ないかなとウキウキしています。

見習います。


ただ、「明日友だちの家行っていいかな?」の質問には、

残念ながらNoを言わざるを得ません。

学校からは入学式の日の予定しか連絡が来ておらず、

その後の予定は分かりません。

それだけ、今年は異常事態の緊急事態なんですね。


通学にもマスク着用。

マスクもあとわずか。

どうしたもんか。

※マスクくれアピールではないので、皆さんご自身で引き続きお使いください。

2020/04/04

続-7割0分8厘 今、何が出来るでしょう

信州プロレスのことを久しぶりに(おいっ)。

信州プロレスも興行が無くなり、

2か月経過もそろそろです。

我々は本業を別に持つ社会人プロレスごっこ団体なので、

正直、生活には大きく響きません。

ですが、お金だけで語れないものの多くが、信州プロレスにはあります。


この状況の中、我々には何が出来るのだろう。

何をして、"信州プロレス"をお届け出来るのだろう。

もちろん、安全第一をモットーに。


ありがたいことに、信州プロレスは信州プロレスだけのものではなくなりました。

「信プロロス」なんていう言葉があります。

あるだけですが。

一切耳にしたことはありませんが。

当然です、私がたった今作った言葉だからです。

ですが、ほんのほんの少しでも信プロロスの方に向けて、

何かはしたいと漠然とした考えだけはあります。


ここで我々の持つべき意識について、先代の選手会長の金言を。

「おいおいおいおいコノヤロー!いいか!エ-ッ!」

間違えました、↓こっちです。

「プロじゃないけどプロ意識」

さすがでございます。

2020/04/02

続-7割0分7厘 面白いなぁ

志村さんの追悼特番見たけど、

面白いなぁ。

私はもちろんだけど、小学生の息子たちも笑ってるし。


おととい、DVD返却しに行った時、

全員集合、バカ殿、ドリフの棚見てみましたが、

ほとんどが貸し出し中でした。


私もともと、誰かが死んだとき、急に本やCDやDVDを見返すのって、

なんかちょっと違わない?

って思っていたんですよ、昨年まで。

でも、亡くなった家族の写真とか、見返したりするじゃないですか。

あれが芸能人だと作品として残っているだけで、

本質的には一緒なんじゃないでしょうか、たぶん。


命は平等っていう言葉があって、

それはそうで、本当に当然なんですけど、

今回のは結構ショックが大きい。


亡骸は実のお兄さんでさえ見ていないそうです。

不謹慎だけど、

実は生きているとかって可能性ない?

政府が危機を煽るために、どこかに幽閉しているとかって。

そうとでも思いたくなってしまいましたが、

昨日のブーさんの言葉が素晴らしかったですね。

改-4割8分2厘 繰り返すのが良いといいますね

2024/04/21(日)、川中島温泉テルメDOME様にて周年イベント。 川中島温泉オープン7周年! ミュージックロウリュウサウナオープン1周年! 信州プロレスも爆風熱波ロウリュウに参加。 サウナに入る→水風呂に浸かる→ととのう、 サウナに入る→水風呂に浸かる→ととのう、 と、サ...