どんど焼きの準備が終わった時に、
地域の先輩方に聞いた話です。
もう50年以上前のド田舎の話なので、
資料文献程度にお読みください。
当時は塔作りは小学生以下の子供だけで行っていた様です。
私有地かどうか分からない山や、明らかに私有地である人の家の畑から、
勝手に木を切り倒して持って来ていました。
※(再掲:50年以上前のド田舎の話)
神事に使う木なので、切られた家の方は、
かえってそれを「光栄だ」とさえ思っていました。
成人の日が1月15日固定だった頃なので、
年明け位から製造に着手していました。
とは言え、完成までは何日も掛からなかった様です。
では何故そんな前から準備していたかと言うと、
近隣の地区の子供たち(友達)同士でお互い、
作った塔へ火を付け合う争いをしていた様です。
※(再々掲:50年以上前のド田舎の話)
ルールなんて無いと思いますが、
・見張りに見つかったら火を付けない
・塔への着火以外の攻撃は禁止
という暗黙の了解があったのだと思います。
見張りのために、塔の横に小屋も作っていました。
名前はそのまま「見張り小屋」で、
敵(他の地区の友達)の襲来に備える物でした。
しかしこの"見張り小屋"、敵襲来に備えた武装施設ではありませんでした。
主に、中でお餅を焼いたり、ミカンを食べたりしたそうです。
小学生が親の目が届かぬ場所で、火を起こしてました。
※(再々々掲:50年以上前のド田舎の話)
とある年、餅に夢中になっていた時に火を付けられてしまい、
気付いた時には子供たちが何人もいる小屋の真横で、
塔が火柱になっていた様です。
※(再々々々掲:50年以上前のド田舎の話)
またある年には、敵(友達)の塔に火を付けることに成功したようです。
ところが、それが1月14日(本番前日)と言う事もあって、
当日の朝、「(もう一回作るのが)間に合わないから手伝って」と言われ、
火を付けた側も一緒に塔作りを行い、
「こんなことなら、付けなきゃ良かった」と思ったそうです。
最後にもう一度言いますが、
50年以上前のド田舎の話です。
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