2019/09/04

続-6割1分3厘 バルス


5日遅れ。40秒で支度出来ず。


ラピュタは小学生の頃から何回も何回も見ていますが、

各シーンで子供の頃に感じていたものが違って来ました。

落ち着いて見ているのか、その後の展開を既に知ってしまっているのか、

『危ないっ』とか『がんばれっ』みたいなのは無くなってきたんですが、

『この時の○○は、こういう気持ちだったんだなぁ・・』みたいなのが増えました。

親方とか、ドーラとかの。


うちの子達はどこで盛り上がるんだろうと思ってみていたら、

龍の巣(雷轟く雲の中)のシーンで「レッドキングだ!」って叫んでいました。

『いくらウルトラマンファンだからって・・・』

って呆れていたんですが、調べたら本当にレッドキングの声が流用されている様でした。

すげぇな。


そんな子供たちが親になった時とかに見て、

「あの時、じいちゃん(※私のこと)はこう思っていたのかぁ」

って、変な時に物思いにふける様な見方をしていた私を思い出して欲しい。

それと、「じいちゃんはクライマックスではスマホ片手に見てた」って、

孫には黙っていてほしい。

孫から「スマホ?・・あぁ、2世代目のガラケーだっけ?」って聞きたくない。


画像は見る私と闘う私。(注:闘っているのはゴモラ)

0 件のコメント:

コメントを投稿

改-5割8分3厘 "つがい"の意味を知らない21歳

私が21歳の時の話。 ちょうど第1回大鷲プロレスが開催された頃、 北海道にシステム導入で向かった。 1日あったオフで釧路湿原に行くと、 2か所あった見晴らし台には、それぞれに先客が。 双眼鏡を設置した、おそらくボランティアの方。 「今、ちょうど"つがい"の鶴が...