2020/04/14

続-7割1分6厘 初めてのアクシデント



2007/10/14
「イトーヨーカ堂長野店」


今では信州プロレス主催の年越しプロレスの場である、

権堂広場にリングを設置しました。


この日の試合で私は七味さん(七味ハイル・シューマッハ)と組み、

代表(グレート☆無茶)と蟹さん(蟹K☆ING)の超人師弟コンビと試合。

超人師弟コンビは旗揚げ戦でも結成されたタッグチームでしたが、

高校のクラス違いの同級生のお二人が、どの様な師弟関係であったか、

今の今まで謎が残っています。

この試合後、私はそんな蟹さんに金色の蟹マスクを渡し、

番長(番長清原)、リーダー(当時ヒロマティ)と共に、ユニットを結成する運びとなります。

ユニット名は「ゴールデンくらぶ」でした。

野球っぽく、蟹っぽく、金色っぽい、非常に上手い命名が出来たと思っています。


そしてメインは大さん(オレガスター大)とチャルさん(チャールズ今井)のシングルでした。

アクシデント寄りのハプニングが起きたのはこの試合でした。

大さんをコーナートップに座らせ、雪崩式のフランケンシュタイナーを狙うチャルさん。

飛びついたその瞬間、2人ともリング外へと落ちていきました。

幸い、コーナー付近でセコンドについてきた代表が二人を受け止め、

試合は再開され、大さんの勝利で終わりました。

試合後、マイクで「チャールズ今井は元プロで~~」と説明する代表。

元プロなので、大丈夫、ご心配なく、というフォローをしっかりとしました。

それでも、口から出血しながら闘い続けたチャルさんを心配する声は多かったです。

ただ歯槽膿漏による出血であっただけなのに・・。


なお、この頃を前後して、いわゆる信プロ第2世代であたる、

Pさん(地獄谷PONTA)、森本さん(森本真也)、髭さん(黒ひげ危機散髪)、オリャーさん(パワーオリャー)、武蔵身先生(武蔵身定食)

が入団してきています。

素顔でセコンドやレフリーをしていました。

この5人に限ったことではありませんが、デビューまでは本名で呼ぶものの、

その後はずっとリングネームで呼ぶことが習慣となりました。

素顔、マスク関係なくです。

理由は分かりません。

2020/04/13

続-7割1分5厘 ビッグハット2連戦

2007/09/23
「ビッグハット」

2007/10/06
「ビッグハット」


無謀にも、旗揚げ1年目にしてビッグハットで2回試合を行っています。

最初はビッグハットの隅っこ、2回目は駐車場。

ビッグハットのど真ん中にリングを設営するのには3年掛かりました。


最初の方のビッグハットで、私が勝手に作ったベルトでタイトルマッチをしました。

ビッグハットでのタイトルマッチは、後にも先にも私だけではないでしょうか。

一度はベルトを手放すものの、再試合のジャンケンで取り返しました。

非常にくだらないものをお客様にお届けしたと思っています。


また、前日の大会との2連戦の2日目でした。

2連戦なんてキツそうだな、と思われるかも知れませんが、そうではありませんでした。

当時は当日の朝道場に集合して、リング解体、積み込み、会場に移動、設営をしていました。

試合後はリング解体、積み込み、道場に移動、組み立てをしていました。

初日の撤収時、トラックにリングを積んで解散になったので、

初日「組み立てに移動しなくて楽だね」、

2日目「朝リングの解体しなくていいから楽だね」と思っていました。

ただ、リーダー(シロマティ)は一度塩尻に帰っていました。


2回目の方では"仮免ライダー"として、

某仮面をつけたようなライダーみたいなキャラクターが出てきました。

しかし、このライダーは趣味で行っているヒーローで、

権利を持つ本家の方から中々な怒られ方をされたとか、されなかったとか。


また、この日は自転車をこいで発電する、というイベントにも出演。

入団して、初めて試合以外でイベントに携わりました。


なお、ビッグハットのステージ、アリーナ、駐車場、階段で試合をしたのは、

信州プロレス以外にいないと自負しております。

2020/04/12

続-7割1分4厘 私も気づく

2007/09/22
「長野陸運局」
イトーヨーカ堂特設リング


信州プロレス初の2連戦、の初日。

10年以上前のことなので正直に書きます。

上記の試合結果には観衆は「合計50人」とありますが、

実際は20人ほどでした。

見栄を張っていました。

試合前にリングを使用したキッズダンスのお客さんも加算し、

「合計50人」と書いてしまいました。

ウソではないけど、正しくない、ってやつですね。

数字は嘘つかないけど、嘘つきは数字を使う、ってやつですね。


それまで、「信州プロレス様の試合だ!人集まるぞ!」

って感じで天狗ってましたが、

ここいらでようやく人間の心を取り戻します。


ちなみに、この日は番長(番長清原)がデビューしました。

私とリーダー(ヒロマティ、後のシロマティ)と野球軍団を結成しました。

この3人での行動は、ゴールデンくらぶ、ロマンティック・カルテットまで続きます。

ゴールデンくらぶ、ロマンティック・カルテットについては、

また機会が来ましたら。


そして、この日の試合中に卵が産まれ、

翌日のビッグハットで孵りました。

信州プロレス初の、"続きもの"をした日でした。

2020/04/11

続-7割1分3厘 気付けば一人で勘違い

2007/07/22
「イトーヨーカ堂上田店屋上」
イトーヨーカ堂特設リング

2007/08/04
「小諸ドカンショ祭り」
小諸ドカンショ祭り特設リング


旗揚げ2か月にして、西口プロレスさんと初遭遇。

私はもう『売れた』と思い、既に天狗状態であった鼻がもう40cm伸びました。

小諸では信プロ史上初の、ゲスト参加者(イベンターの方)を迎えました。

日頃、ごっこなりに練習していた私は、先輩風をビュンビュン状態でした。


この頃までそんな勘違いをしているメンバーは私くらいなものでした。

今分析すると、他のメンバーは少なからずスポーツをやっていて、

何かを成し遂げる為、すべき努力を知っていました。

私は単に、みんなが敷いたレールを使っていただけでした。

そんな私に、デビュー戦のヤジ君(矢島聡)は信州一ラリアットを決めました。

鼻が50cm程折れたような気がしました。


ちなみに、イトーヨーカ堂ではヒロマティ(後のシロマティ)がデビューしました。

私が後年、リーダーと呼ぶことになるお方です。

リーダーは塩尻から通っていました。

当時は塩尻は大変遠くの場所に感じており、

色々な時間をリーダーに合わせる"ヒロマティ時間"みたいなものがありました。

現在では県外メンバーも増え、一律"長野時間"に戻りましたが。


それと、エンディングで西口プロレスさんがリングインする際、

私と大さん(オレガスター大)でロープを開けていました。

すると、リングインするラブセクシー音羽屋さんが、私にキスしました。

私のファーストキスでした。

なお、2回目のキスは10年後のマルコXXとです。

3回目は20周年記念興行でと約束しています。


イトーヨーカ堂さんには本当によくしてもらい、

選手個人の特大ポスターを会場に貼ってもらいました。

私は入場時、対戦相手のチンさん(タイガーチョッとチン)のポスターに、

油性ペンで「バカ」と書きました。

使い捨てと思われたそのポスターは試合後に頂き、道場に持ち帰ることになりました。

その後、「バカ」と書かれたポスターが道場に飾られました。

大変申し訳ないことをしました。


小諸では「負けたら引退」という試合で魔珍(後の火付魔珍)がデビューし、引退しました。

なお、私は入場時に客席に向かい水鉄砲を撃った際、

ケーブルテレビのカメラに掛かり、

なかなかなお叱りを受けたとか受けなかったとかは、ご想像にお任せします。

水鉄砲後、リングに上るとKen45゜選手の真似をしてエアギターをしました。

なので多分、リングでエアギターをしたのは

Ken45゜選手→私→100年に一人の逸材 の順だと思います。

裏は取っていません。

2020/04/10

続-7割1分2厘 続く勘違い

2007/07/15
「歩行者天国大会」
長野駅前特設リング

2007/09/01
「歩行者天国大会」
長野市中央通り もんぜんぷら座前特設リング


時系列的に前後しますが、旗揚げ興行の年に、

長野駅近くの歩行者天国に3回もリングを立てました。

特に向上心が無い私が、自分のやりたいことだけをやって、

何の苦労もなくお客さんに拍手をもらっていました。

大変お恥ずかしい限りです。


特に長野駅前での試合なんて、長野市の玄関口にリングな訳です。

もう長野県を代表したような気になっていました。

この頃、観戦に来てくれた知人に対し、

私はあいさつやお礼を怠っていました。

今考えて、ただただ恥ずかしい。


"若気の至り"の一言では片づけられないこの態度。

残念ながら、まだ続きます。


ちなみに、7月の方の大会は雨が降って、リング上が非常に滑りました。

この日ヤジ君(矢島聡)がレフリーデビューでしたが、

そんな悪条件の中、類まれなるアドリブ力を見せつけ、

大物ぶりを発揮していました。

それと七味さん(七味ハイル・シューマッハ)はそれまでの試合で、

毎回私のバットを蹴りでへし折っていました。

この日はバットに飽き足らず、コンクリートブロックを割ると言い出しました。

試合前、試し割りとばかりに、コンクリートブロックに正拳を振り下ろし、

見事に砕きました。

骨の方を。


9月の大会の昼食は、あんかけ焼きそばでした。

ふと、大さん(オレガスター大)がスタッフに「これあげます」

「いつもありがとうございます」と、

自分の嫌いな野菜をお皿に渡していました。

なお、取材に来たケーブルテレビがお客さんにインタビューしたところ、

それが偶然大さんのお母様でした。

改-6割4分3厘 19年が経ちました

今さらの今さらではありますが、2026年05月05日、 77市町村ドリームツアーin千曲市 がありました。 信州プロレスが旗揚げ興行を行ったのが2007年05月05日でしたので、 旗揚げ19周年記念の意味合いもありました。 そんな日に、旗揚げメンバーの一人、タイガーさん(信州タイ...